本来そろばんは、
- 五の位:1つの珠
- 一の位:4つの珠
このように、計5つの珠で構成されています。
しかし、昔は上の珠が2つ・下の珠が5つでした。
この記事では、なぜそろばんの玉が5つであり4つに変わったのか?その理由を解説します。
そろばんはどのように変化してきたのか
日本にそろばんが伝えられたのは室町時代で、中国との貿易が盛んになったことにより、貿易商の手で港町などに持ち込まれたことが起源と言われています。
当初日本に入ってきたそろばんと今のそろばんでは、珠の構成や数が異なります。どのように変化してきたのでしょうか。
【室町時代~】上の珠2つ・下の珠5つ
そろばんはメソポタミアで誕生して、シルクロードを渡り中国に伝わりました。このとき中国で使われていたそろばんは、上の珠2つ・下の珠5つのそろばんです。
これは発達していた尺貫法での十六進法を計算するうえで、五つの玉が2個、一つの玉は5個あった方が計算しやすかったためと言われています。
明の時代、目方の単位として1斤が16両だったので、1桁に15までおける五珠が2つ下の一珠5つの中国そろばんが重宝だったというわけです。
【明治時代】上の珠1つ・下の珠5つ
明治時代に入ると、上の珠が1つ無くなって、上の珠1つ・下の珠が5つのそろばんが使われていました。このタイプのそろばんは、江戸時代から昭和の初め頃まで使われていたようです。
Twitterで、上の珠1つ・下の珠が5つのかなり貴重なそろばんを投稿している人がいたので、こちらでもシェアしたいと思います。
9歳が学校でそろばんを習ったらしく「家でも練習してみたい」という。どうせすぐ飽きるから買うのもなぁと思って「ばーちゃんちにあるんちゃう?貰っといでや」と適当に答えたら、えげつないやつ貰って帰ってきた。 pic.twitter.com/EF65MYRCg8
— なちゅ。 (@itacchiku) July 16, 2022
パッと見ても、あまり違和感がありませんが、よく見ると下の珠が5つありますね。
【昭和13年~】上の珠1つ・下の珠4つ
昭和になって10年経ったころの1935年、文部科学省による小学校の教科書改訂に伴って、小学校でそろばんが必須の科目になりました。
同時に、玉の数も「上の珠1つ・下の珠4つ」に減ったそろばんが普及。以降は、この上の珠1つ・下の珠4つのそろばんが広まり、オーソドックスな形として現在も使われています。
そろばんの珠が上1つ・下4つになった理由
下の珠が5つから4つに減り、上の珠1つ・下の珠4つと今の形になったのには「十進法を計算しやすくするため」と言われています。足し算・引き算もしやすくなりました。
下の5つ目の珠は、あってもなくてもどちらでも良かったようですね。必須ではないので、不要な珠は取り除く…という発想になったようです。
5つ目の珠はあってもなくても意味のないもので、不要な珠を取り除いたと考えられます。
中国のそろばんも今は、上の珠1つ・下の珠4つ
中国のそろばんは当初、上の珠2つ・下の珠5つのそろばんでした。しかし、今では、中国のそろばんも上の珠1つ・下の珠4つの現代のそろばんが使われています。
十進法が発達した現在は中国でも日本のそろばんの形態が使われています。
まとめ
そろばんの珠が5つから4つになった理由・経緯をまとめると以下の通りです。
- 最初にそろばんの【上の珠が2つ・下の珠が5つ】だったのは、十六進法が計算しやすかったため
- その後、江戸時代から昭和の初め頃までは【上の珠が1つ・下の珠が5つ】のそろばんが使われた
- 教科書の改訂に伴ってそろばんが小学校の必須科目となった昭和13年頃からは、十進法を計算しやすくするために【上の珠1つ・下の珠4つ】のそろばんが普及
最初から、現在の「上の珠1つ・下の珠4つ」のそろばんではなかったことが分かりますね。
そろばんの歴史についてもっと知りたい方は、より深く調べてみると新たな発見があるかもしれません。
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